無意識(潜在意識)について書いてみる。
コーチング・カウンセリング・セラピーといった世界では、サービスを売るために、ちょっとゆがんだ使い方がされている言葉があります。
「集合的無意識」「シンクロニシティ」なんて言葉です。まあ他にも沢山ありますが(笑)
ちょっと実際のところを書いてみようかな、と思いました。
■ そもそも無意識(潜在意識)って何よ?
「無意識」って言葉、けっこうミステリアスに語られる場面も多いなあ、と思っていますが、実際のところ、そんなにマカフシギなものじゃありません。
今この瞬間に意識に上っているものが意識(顕在意識)。上っていないものは全て無意識(潜在意識)。例えば、あなたがこの画面を見ている瞬間、画面は顕在意識にあるもの、となります。で、今意識に上がっていないもの、例えば、足の小指の感覚(まさかPC見ながら足の小指ずっと意識してる人とかいないですよね・笑)は潜在意識にある、ということになります。
で、こう書いた瞬間に、足の小指を意識して、PCの画面が一瞬意識から消えたりするわけです。ずっと動き続けている関心の向けどころ、というのが意識です。
よく、意識全体を氷山に捉えて、海面から上に出てるのが意識で、海面の下の大きい部分が無意識、なんていい方がされていますが、意識自体の「常に動き続けているもの」という性質から見ると、あんまりいい例えじゃあないなあ、なんて思います。
もっと適切な表現と思うのは、「闇夜の刑務所とサーチライト」ですね。サーチライトが当たっているところは意識。当たっていないところは無意識。カウンセリングの現場で、心の問題の原因を探すのはさしずめ脱走を企むマイケル・スコフィールドを探すようなもんでしょうか(Prison Break 見てない人はごめんなさい・笑)
■ 無意識の中身2種類?
で、もうちょっと突っ込んだ話をすると、この無意識とやらも2種類ある、と言われています。
1つめが、単にサーチライトが当たっていない部分としての「無意識」。
もう1つが、「集合的無意識」って言われるもの。
ああうさんくさい言葉が出てきました。集合的無意識(笑)もともとはユングの言葉ですね。ユングは「人間の心は奥底でつながっている」っていう説です。
で、まあいわゆる自己啓発、成功法則とか、この種の世界では、「集合的意識を活用することが人生の成功のコツなんです!」なんて書いてあるけど、私個人として考えると、「うーん、微妙」という感じです。
■ ユングが言ったからって、あくまで仮説に過ぎないのよね
なんで微妙って、集合的意識って、あくまで仮説にすぎないんですよね。
私自身、「集合的無意識ってあるんじゃないかやっぱり」と思うような瞬間はありますが、それでも、クライアントに対して、
「集合的無意識ってのがあるので、、、うんぬん」
といい切ることはできないです。言えるとしてせいぜい
「集合的無意識って『仮説』がありましてね、うんぬん」という程度。
まあ、セラピー、カウンセリング、コーチングとか、こうした分野では、「集合的無意識」とか、こういった言葉ってマーケティングのツールとしてかなり有効なんで、その存在や、そこから派生した「シンクロニシティ」なんて言葉を前提にした話をしたくなるのは人情としては分かりますが、専門家を名乗る人間の態度としちゃアウトじゃね?と思っていたりします。
■ 心理支援の場で別に「集合的無意識」に選択的にアクセスできるわけじゃない
コーチング、カウンセリング、セラピー、これらの現場では、「無意識」にアクセスすることはできるけど、別に「集合的無意識」を選んでアクセスできるわけじゃないですし、「シンクロニシティ」とやらを狙って起こせるわけじゃないです。
集合的無意識なるものがある、と仮定しても、そこへの影響は、あくまでクライアント個人の「無意識」に対する働きかけを通して出るもの、と私は思っています。
結論として、「クライアントの利益になれば『集合的無意識』なんてあってもなくても良い」っていうところに私の立場は落ち着いていたりします。