アツい情緒論が出てくる背景。

先日の記事で、アツい情緒論に具体的な話が流されちゃう、という現象に対して自分が感じるストレスを書いたが、今日になって妙に腑に落ちる考えが出てきた。


ああ、そうか、アツい情緒論で具体論を流しちゃう人って、そもそもその場にある問題を解決するというのがゴールではないのかもしれない、と。


じゃあ何がゴールか?って、討論番組だと自分の存在感をただ出したいとか、自分の世代は立派だ!と思わせたいとか、実際に具体論に入ると本当に具体的に動かなきゃいけないような気がしてそれを避けたいとか、それは人により様々なんだろうけど。


これを読んでいるわずかな読者の方(ありがとうございます)の経験に照らし合わせても、ああ、そういえば、、、なんて思い当たる経験があるのかもしれないな、と思ったりしている。


まあ討論番組だと、まじめに問題解決に繋がる提言をしようと思っていない人もいるだろうから、こうした現象が出てくるのは当たり前か、と妙に納得した。


けれども、今度は逆に、ゴールが問題解決にあって、まじめに提言をしようという気もある人にとって、討論番組ってどれだけ有用なのか?という疑問も沸いてくる。無用であれば勝間和代さんあたりがわざわざ出てもこないだろう。


TV番組だから、
■出演回数を稼ぐことが論者プレゼンスや、ひいては本当に具体的にモノを考える場でのハローエフェクトに繋がる
■著書の販売部数が上がる

という点は使えそうに思えるけれど、その他にはどんなメリットが考えられるだろうか。しばらく考えてみようと思っている。