情報と情報のキャリアと - 「記述できないからこそ『情報』」?

「情報って何?」この言葉の定義って、以外と難しい。


Q: 情報の単位は?
A: ビット。


という話は聞くのですが、じゃあ、その単位で示されるものは何なの?良く分からない。なんて疑問が自分のすみっこにあったのですが。


「情報って、物理的に記述できないもの、と割り切るといいのかも?」


とふと思いました。ミーム学の本などを読んでいての思いつきですが。


文字は、情報のキャリアではあるけど、情報そのものではない。
映像も、情報のキャリアではあるけど、情報そのものではない。
音声も、触覚も、味覚も、嗅覚も。


5感で感じられるもの=物理的に記述できるものは、「情報のキャリア」に過ぎず、情報そのものではない。


情報を、「はい、情報!」といって出すことは出来ない。出すことが出来るのは「情報のキャリア」だけ。


「Map is not a territory = 地図が土地ではない」の「Map」は情報のキャリア。「Territory」は情報そのもの。だからTerrirotyが物理的な形で完全に記述されることは永遠にない。(となると、地図は土地ではない、というメタファー自体が、あまり上手なメタファーでもないなあ、とも見えてきますが、、、)


こう考えて、自分の中でいろんな知識がまとまった気がします。「考えるな、感じろ! = "Don't Think, feel!"」というのも、「空気読め」というのも、はたまた、精神世界に傾倒する人が、「目で見えない、耳に聞こえず、触れず、ニオイも味もないもの」を追い求めるのも、「抽象度を上げよう」というのも、結局は物理的に記述できないものを感じよう!という、一見矛盾したことを追いかける試みなのかなあ、と思うのでした。


ちなみに、ここのお話は、「ニュース、ネットなどを通じて人々の周りに情報が溢れている」なんていうときに使う広義の「情報」ではなくて、あくまで、情報と情報でないものの境目をクリアに切ろうという時の話です。クオリア論とか、そういう分野を勉強するといろいろ見えてくるんでしょうか。