記号的な仕事とか創造的な余暇とか

社会学者の宮台真司氏が、「仕事での自己実現」と「消費での自己実現」しかないという思い込みをやめよという文章をBlogで書いていました。さすがに鋭いです。


でも、一点あれ?と思ったのが、「『創意工夫の必要な仕事』をこなすエリート」という記述。


この記述自体に間違いはないのですが、創意工夫は、決してエリートのみが行うことではないよね。ということをたまたま思いました。「クリエイティブ・クラスの世紀」なんていう本がちょっと前に売れましたが、ホワイトカラー/ブルーカラー、エラい/エラくない、こうした表向きの肩書きに関係なく、創意工夫に取り組む人とそうでない人がいるだけ、という切り分け方もできます。ちなみに、宮台氏はこの点について「『仕事での自己実現』と『消費での自己実現』だけしかない、という思い込みを捨てよ」という論を展開しています。私も100%賛成です。宮台氏が、誰でも創意工夫は大切だ、ということを思っている可能性もありますね。


そこで思いついたのですが、この話は、以下のような切り分けを行うと分かりやすくなりますし、いろいろ便利そうです。


まず、生活を、

仕事 − 余暇

という分類で分けます。仕事はなんらかの生産活動、余暇はそれ以外。それとあわせて、

創造的 − 記号的

という分類を作ります。記号的なものの代表は、「ホット・ドッグ・プレス」などに代表されるようなマニュアル文化(古い?)、創造的なものの代表は、アップル・グーグル的な文化や、日常生活をちょっと楽しくするための「自分で考えた」工夫、です。ここでは、独創的であるかどうかは問わないこととします。


この2軸での分類を行うと、以下のような「人間の活動のマトリックス」ができあがります。職種、肩書きを問わず、ほとんど全ての人に当てはめることができるモデルだと思うのですがいかがでしょうか。


余暇 仕事
創造的 創造的余暇:

料理の新しいレシピを考える、友達と楽しく過ごすために新しい遊びを考える、芸術にトライしてみる、何か面白い文章を書けないかトライしてみる、などの活動。
創造的仕事:

マニュアルやビジネスモデルをゼロから考えること、工程改善のアイデアを出して実現していくことなど、マニュアル以外のところに解決を求める仕事がこれにあたるでしょう。
記号的 記号的余暇:

消費での自己実現。ショッピング、遊園地に行って遊ぶ、DSで時間を潰す、映画を見る、読書、運動不足は危険!と煽られて行うジョギングなど。
記号的仕事:

マニュアル内の仕事。標準作業書に従うだけの製造作業、いつもどおりの事務作業、「他社がやってるからウチも」「最近流行っているから」で取り入れられる新しい仕事、セオリーのみで行われるコンサルティングなど、他者から与えられた情報・枠組みをそのまま使用する仕事すべて。
そして、自分が余暇・仕事のそれぞれをどのような傾向で過ごしているか?を、こんどは下のような表に当てはめてみると、自分がどのような人なのかということがわかってきます。

仕事も余暇も創造的な人:
職種・立場が何であれ、人生の多くの局面で自己実現ができている、ハッピーな人。その人の立場の中で交換不能な仕事をする可能性が高く、余暇も充実していることから、人生全体を、幸せに生きることができるでしょう。お金に縛られないお金持ちになれる可能性もあります。


仕事=創造的余暇=記号的な人:

一般の人が抱きがちなお金持ちのイメージ。創造的に仕事に取り組み、仕事を通じて自己実現ができるが、そこで得た収入を、消費による自己実現に用いる。引退後に、仕事で育てた創造性をうまく余暇にシフトできると良いのですが、それに失敗すると、食べることと旅行しか興味のない引退生活になったりするので注意は必要です。「お金持ち」のステレオタイプなイメージに憧れて、お金を稼ぐために創造的な活動を行う、というタイプとも言えます。グーグル・アップル的なものを生み出す原動力になる反面、暴走すると儲かれば何でも良い!的な方向に向かうリスクも併せ持っています。


仕事=記号的余暇=創造的な人:
仕事では、マニュアル的な仕事しか出来ていないものの、余暇を創造的に過ごすことで人生のバランスを取れるタイプです。

創造的な素養はあるので、仕事を創造的にしていくことを覚えると、人生がさらに豊かになる可能性大。また、「好きでやっていたらそれがいつの間にか仕事になった!!」ということが起こる可能性もあります。
収入が特別高くなくても、消費に頼らず余暇を過ごせるため、特に引退後に充実した人生を送れる可能性があります。但し、会社が傾いてリストラをされてしまった、などの場合に、余暇どころじゃなくなるリスクは残ります。


仕事・余暇ともに記号的な人:

要注意な層です。

仕事ではマニュアルワーカーとなり、余暇では、消費をいくらしても満たされず、さらに消費を繰り返すという特性を持ちがちなため、働いては消費、の繰り返しになりがちです。注意しなければならない点は、では、創造的に生きるためにやりたいことを探そう!!となったときにそのときに流行の職種を選んでみたり、ブランドのある企業を順にトライしていく、流行の資格を取得してみる、といった具合に、他者からインストールされた情報につい従ってしまいがちなところです。



個人的な印象でしかありませんが、この国では「仕事も余暇も記号的」というところに陥ってしまっている人が余りに多い気がします(私自身も以前はどっぷりその世界に浸っていました)。もちろんこの傾向は、個人個人の責任によるものというよりは、社会全体の動きによって生み出されたものと見るべきものです。


グーグル的なもの・アップル的なものを生み出すこともなければ、地味でも皆がハッピーに過ごせる社会、というのがどれだけ働いても日本で実現し難いものになっているのは、この傾向によるところも大きいのでは?と思っています。